2016年 08月 28日
海兵隊が描かれている映画その③「北京の55日」 |
集中投稿のラストは、歴史娯楽大作の「北京の55日」。1900年に中国で起った義和団事件を取り上げた珍しい映画。
アヘン戦争以来の欧米列強による半植民地化と日清戦争による国内の疲弊で、国力が衰退していた清朝末期、義和団が外国勢力の排斥を掲げ中国全土で蜂起していた。そして義和団がついに北京の外国人居留区を目がけて攻撃を開始する。この時に北京の居留区に住む11か国(イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ベルギー・オランダ・スペイン・オーストリア=ハンガリー、日本)のろう城戦がクライマックスの歴史スペクタクル映画。
主人公の海兵隊中佐とロシアの男爵夫人とのラブロマンス、西太后を始めとする清朝の親王や将軍をアジア系俳優ではなく、ヨーロッパ系俳優が演じるなど(1960年の製作当時は冷戦時代で、中国との交流が無かったのでキャストの確保が難しかった)、時代がかった演出に目が行きがちだが、冒頭の海兵隊が北京に到着する際にSemper Fi! (センパーファーイ)「常に忠誠を」という海兵隊の標語を連呼しながら行進するシーンや、海兵隊中佐と男爵夫人がイギリスのヴィクトリア女王誕生日を祝うパーティにてダンスを披露する時、中佐が着用しているブルードレス(海兵隊将校の礼服)が見れたりと当時の海兵隊の様子や20世紀冒頭の歴史状況がうかがえて興味深い(ヴィクトリア女王は翌1901年に死去)。
この時の日本の指揮官が柴五郎(若き日の伊丹十三がキャスト)で、ろう城戦での功績がイギリスに評価され1905年の日英同盟につながっていく、という歴史の伏線もあります。
また当時の在清公使は西徳二郎、硫黄島で戦死するバロン西(西竹一陸軍大佐)の父であり、日清戦争から太平洋戦争までがぎゅと凝縮したような起点に義和団があったと改めて考えさせられる。
第二次大戦以前の海兵隊を知るのにはおすすめの映画です。
アヘン戦争以来の欧米列強による半植民地化と日清戦争による国内の疲弊で、国力が衰退していた清朝末期、義和団が外国勢力の排斥を掲げ中国全土で蜂起していた。そして義和団がついに北京の外国人居留区を目がけて攻撃を開始する。この時に北京の居留区に住む11か国(イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ベルギー・オランダ・スペイン・オーストリア=ハンガリー、日本)のろう城戦がクライマックスの歴史スペクタクル映画。
主人公の海兵隊中佐とロシアの男爵夫人とのラブロマンス、西太后を始めとする清朝の親王や将軍をアジア系俳優ではなく、ヨーロッパ系俳優が演じるなど(1960年の製作当時は冷戦時代で、中国との交流が無かったのでキャストの確保が難しかった)、時代がかった演出に目が行きがちだが、冒頭の海兵隊が北京に到着する際にSemper Fi! (センパーファーイ)「常に忠誠を」という海兵隊の標語を連呼しながら行進するシーンや、海兵隊中佐と男爵夫人がイギリスのヴィクトリア女王誕生日を祝うパーティにてダンスを披露する時、中佐が着用しているブルードレス(海兵隊将校の礼服)が見れたりと当時の海兵隊の様子や20世紀冒頭の歴史状況がうかがえて興味深い(ヴィクトリア女王は翌1901年に死去)。
この時の日本の指揮官が柴五郎(若き日の伊丹十三がキャスト)で、ろう城戦での功績がイギリスに評価され1905年の日英同盟につながっていく、という歴史の伏線もあります。
また当時の在清公使は西徳二郎、硫黄島で戦死するバロン西(西竹一陸軍大佐)の父であり、日清戦争から太平洋戦争までがぎゅと凝縮したような起点に義和団があったと改めて考えさせられる。
第二次大戦以前の海兵隊を知るのにはおすすめの映画です。
#
by banyu-mili
| 2016-08-28 22:55
| 映画